10日目に会いましょう

これまで経験したいくつかの職場では、なぜか必ず信頼できる同僚のうちに一人はインド人がいた。日本ではインド料理屋くらいでしか見ないような人種の人達だけど、アメリカだと多くの職場で重要な立場にいる。最近の研究によるとインド系アジア人は、日本・韓国・中国を中心とする東アジア人に比べて遥かに(レベルによるが2~5倍)リーダーポジションに出世する率が高いという話が出ていて、グローバル企業で働いたことのある人ならばこれは実際に多くの人が同意するところだと思う。同論文によると、インド系アジア人は相対的に見ると白人よりも出世しているらしい。この論文ではその理由を、東アジアにおける孔子の教えに端を発する謙遜に対する美学にあるとし、アメリカにおける「主張し、正当化する(Assertiveness)」ことを重視するカルチャーとのズレにあると様々な角度から検証し、結論づけていた。

儒教は東アジアで生まれ、インドには広がらなかったけれど、日本人とインド人が共通に背景に持つ文化に仏教がある。インドはヒンドゥー教の存在が強くて現代ではあまり仏教のイメージがないけれど、その後東アジア、東南アジアでそれぞれに広がっていった思想の故郷であり、日本人に対してそうであるのと同じように哲学的影響を人々に与えている。私にとってはその思想の根幹にあるのは「内省による開放」にあると思っていて、そのことを教えてくれたのは前述の同僚たちの一人、BCGにいたときの同僚が教えてくれたS.N.ゴエンカ氏だった。

普段とあまりにも違うテーマで、このブログの読者には戸惑うかもしれない突然の宗教テーマだけど、私がお話したいのは実はポストコロナのお話。今しばしお付き合いを・・・。

つい先日7回目の命日を迎えたS.N.ゴエンカ氏は、ヴィパッサナーという上座部仏教起源の瞑想修行方法を広く世界に伝えた人で、その瞑想施設は世界中に作られている。日本では千葉と京都にあり、前述の同僚からの紹介に感化された私は、自分の人生がどん底だった5年ほど前にそこを訪れた。10日間のコースのうち9日間はあらゆる種類のコミュニケーション(しゃべる、聞く、読む、書く、目を合わせるなど)が禁止されるというから、どん底にいて誰とも話したくなかった自分にはぴったりだと思った。私の予想は的中し、その9日間私は自分のトラウマ、怒り、悲しみ、妬み、など、自分に内在するあらゆる苦悩(パーリ語でいうサンカーラ:「因縁によって起こる現象」)と向かうことになり、その苦痛は大きかったけれども、その後の人生観に強い影響を受けた。でも10日間コースの10日目は、他の日と違う。その日は禁じられていたコミュニケーションが許される日で、それまでお互いに目を合わせることも避けていた他の参加者と初めて会話をすることができるとされている。

10日間ずっとお互いに話すことを禁じられた人たちはその日どうなるのか?これは人類の誰もが実際に経験することをおすすめするけれど、一言で言うととても美しい日です。思いやりの気持ちに満ち溢れ、誰もがお互いに優しく、親切で、互いの存在から感謝と喜びを感じられる日なのです。おそらく何も知らない人がその日のその場所に居合わせたら、むしろ気持ち悪いくらいに。

コロナはまだ収束したとは言えないけれど、少しずつ私の職場にも人が戻りつつある。中にはこの半年の間に、今までと違う環境で生きてくことに向かい合い、体や心のバランスを壊してしまった人もいる。中には新しい働き方の中で自分への理解を深め、一回り強く成長した人も。私はといえば、やはりチームとは近くで、濃い意思の疎通を行いながらグイグイと事業を進めていくのが好きですから、週を重ねるごとに何ヶ月も会っていなかった同僚や友人の顔を見ると、10日目のことを思い出します。それは私達だけではなく、久しぶりにお互いに顔を合わせた多くのメンバー同士も感じていることのようで。このコロナの件でいいことがあったとすれば、そんなふうにお互いの存在の大切さを改めて感じることができたということではなかったかと思っています。